大平(おおだいら)温泉 滝見屋は、歩いてたどり着く一軒宿。テレビや携帯の電波も届かない深山幽谷にある秘湯中の秘湯。早春の雪解け4月下旬から、雪が舞い降りる11月初旬まで半年限定の隠れ宿です。足を運んで下さるお客様、里山の恵みを届けてくれる地元の皆さん、そして絶えず湧き出す温泉など大自然の恵みに生かされながら、110余年を経た今日も最上川源流の宿を守っています。
[日本秘湯を守る会 会員]
[米沢八湯 会員]
変わりたくてもなかなか変えられなかった、というのが先祖の本音でしょうが、時間や情報の流れがどんどん加速する時代にあって、変わらずそこにあり続けることが私たちの目標です。創業から110余年。道なし、電気なし、重機も入れないこの環境でこんこんと湧き出る温泉と自然に魅せられて、一歩一歩歩んできた歴史は手作りと自然との闘いとの連続に他なりません。
貞観2年(860) | 吾妻山中に分け入った行者により発見される |
享和元年(1801) | 浴舎を建てて開業 |
明治42年(1909) | 旅館を始める |
大正15年(1926) | 東北地方暴風雨。建物、源泉とも致命的な打撃(8月18日)同年山を切り崩して新たに300坪の宅地造成と建物工事に着手。標高1000Mを越す現場で工事の請負者もなく、やむなく常備で着工。 |
昭和9年(1934) | 4年をかけて竣工。 |
昭和13年(1938) | 火事により旅館全焼。戦中のため旅館は贅沢扱いされ、建築許可おりず。人手と資金不足により再建を断念。(2月) |
昭和15年(1940) | 親族会議により廃業が濃厚に!(8月24日) |
結局、この時の先祖が幾度に渡る親族会議で前向きでいてくれたお陰で今の私達がいます。記録によると翌昭和16年秋から、旅館の建築を始め17年からは現在の市道にあたる山頂駐車場までを含めた道路を自力で工事を進めました。たった数行の復興の記録ですが只でさえ不便な地での技術も人手も足りなかった時代。行間から汗と涙の葛藤を感じます。ですから、終戦と同時にジープを購入できた時は、どんなに嬉しかっただろうと子孫の私も心躍ります。 その後も自然との格闘の連続。特に昭和62年、平成元年と続けざまに豪雨が続き、特に平成元年(1989)大型台風13号が東北地方を直撃(8月)した時、小学生だった私は何とか雨が降り止みますようにと、神頼みならぬ、仏頼みをすべく、1日に何度も仏壇にお茶をお供えに行ったことを憶えています。記録によれば「猛烈な雨で露天風呂2つと温泉源泉1号、2号とも断絶。内風呂も入れず大変な苦労あり」と。またもや廃業の危機。 しかし、自噴する温泉は何十年も前に周辺に降った雨が循環し、湧き出します。移ろいながら再生を続ける自然は本当に力強く、源泉はゆるやかにまた復活してくれました。
先祖が拓いた滝見屋へ心細げに続く道は、当時は最小限の着工だったため、地形に沿った無駄のない道となっています。母(滝見屋女将)はお嫁に来た頃、この道はジープでしか上りきることができず、粘土質の路面は雨になるとスリップし、よく車のおしりを押しながら進んだものよ、と涼しく申しておりました。 昭和43年に駐車場までは米沢市の市道となり管理をしていただくこととなりました。今も山道であることは変わりませんが、台風や暴風雨の時だけではなく、毎年少しずつ少しずつの手作業に近い整備をして下さっているお陰で常連のお客様には「道がよくなった。」と言って下さる方もいます。 滝見屋に渡る吊り橋も忘れてはいけませんね。私たちが冬季休業で宿を閉める時、最後に橋板を取り外し山を下ります。春は最初に橋板を取り付け、雪の中から宿を掘り出します。 駐車場から宿までは谷底への急斜面。重機も車も入ることが出来ないため、建物の建築や維持も大変です。
最後の大規模改築は平成のはじめでしたが、重機が入らないこの地での作業はほとんど手作業によるため、建物の柱や露天風呂の石一つ一つにも愛着があります。 例えば、1本の鉄骨とっても、そのまま運べないので、山のふもとの本宅で鉄骨をわざわざ切断し、それを宿まで運び宿の前で溶接して1本に仕上げる。ミキサー車は入ることができないので、手作業で練りながら・・・といった風です。 私が生まれる前から宿に携わってくれていた宮大工の桑島さんを棟梁に市内の職人さん達の、プロジェクトX級の職人仕事、難工事の数々を克服する奮闘により、現在の滝見屋が完成したのでした。足を運んでいただけるお客さまには、その当時を想像して頂けたら嬉しいです。 しかし、自噴する温泉は何十年も前に周辺に降った雨が循環し、湧き出します。移ろいながら再生を続ける自然は本当に力強く、源泉はゆるやかにまた復活してくれました。
滝見屋には電線も電話線もつながっていません。電気は自家発電機が頼り。 営業中は毎朝軽油を運び、帰りは宿で出た洗濯物やごみを麓まで持ち帰ります。 山奥の一軒家であるがゆえの自給自足ですが、自然の恵みに活かされてこれからも宿を続けていくために、滝見屋が出来ることを、私はずっと考えていました。そこに秘湯の宿が存在することで人々が足を運び、温泉資源だけでなく、周辺の森林や里山の整備が行われ、中山間地域の環境維持につながる核となる、という考えに至りました。 吾妻連峰の姥湯、滑川、新高湯、など心強くもユニークな秘湯の仲間と手を携えて、これからも山の宿を守り続けていきます。(完)
滝見屋はお蔭様で113年を迎えます。大自然に翻弄され毎日奮闘しながらも、家族のような仲間たち、里山の幸を届けてくれる地元の皆さん、そして絶えず湧き出す温泉など大自然の恵みに生かされながら、いつも支えて下さるお客様のふるさととして、これからもこの宿を守っていきたいと思います。
小さい頃から、わが家ながらあまりに秘湯すぎる不便さ、雪に閉ざされ半年営業の不安定さに、普通の宿の子に生まれたかったとよく思ったものです。しかし母とふたり滝見屋を引き継いでから、お客様はじめ多くの人とのご縁と大自然の恵みに生かされて、創業以来宿が続いてきたことを日々実感しています。これからもお客様とともに、滝見屋というバトンを守り伝えたいと思います。
滝見屋案内所は、米沢藩の下級武士「原方衆」が暮らしていた南原にあります。 最近、移住者や芸術家、起業家が集まり出した地元ミナミハラのご近所さんをご紹介。
滝見屋案内所から徒歩数分。SATOYAMA SOMELLIERとして活躍中の黒田三佳さんのHP。若女将も里山ビジョン研究員として修行中。
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ちば吉こと千葉陽平さんのHP。自然栽培の蕎麦や野菜が成長ストーリーは、私達へのヒントが満載。滝見屋の畑も耕してもらっています。
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滝見屋案内所より1kmほどの田園に2018年春にオープンしたマイクロブルワリー。槙山代表が一本一本手作業でボトリングをしてお届けしています。
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南原にある茅葺屋根の古民家を「里乃音」を命名し東京から移住した世界的なピアニスト・チェンバリスト福田直樹さんのHP。米沢八湯をモチーフにした「ゆけむり」を作曲。里乃音で古民家コンサートも開催されています。
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原方刺し子作家・遠藤きよ子さんの体験工房。東北冬の生活の知恵「刺し子」に米沢の歴史と想いが込められた「原方刺し子」が体験できます。
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奥会津の美しい風景に溶け込む秘境鉄道「JR只見線」は2022年秋全線開通予定。「霧幻峡の渡し」と共に日本の原風景に出会うことができます。
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若女将が台湾ホテル修行時代に知り合った友人周さんが店主を務める野草茶専門店。草の根交流が続いています。
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電話予約は 0238 38 3360 へ